fc2ブログ

記事一覧

源流回帰

源流回帰
resize3671.png


 下界の生活の中で、実は幾つもの役割を演じながら暮らしているように思う。仕事の顔や息子や娘としての顔や、子供の親としての顔や男や女としての顔。いつしか自分の本当の姿が分からなくなったりする。マルチン・ブーバーの説く、見る自分と見られる自分の一致は人としての永遠のテーマであるが、本当の姿を求めて人は模索する。山と対峙せずに人と対峙してしまった山登りは自然の中では無力だが、何よりも人に多くを求めて楽しさを失ってはいけない。谷の曲がり角に私はいつも未知を感じる。その向こうにある未知の景色の中にわたしは本来の自分を見る。源流への旅は実は自己への回帰の旅なのかも知れない。

resize3665.png
橋倉川のゴルジュ


resize3669.png




沢と時 
沢筋一杯に広がった滑床を洗い尽くすように鮮烈な水が流れてゆく。蕩々と過ぎゆく悠久の時を伝えるようにそれは止めどもなく押し寄せてくる。その流れに足を踏ん張り、深く刻まれた岩盤の紋様をなぞるとき、人は時の世界に迷い込む。足元で乱れた流れは過去を振り返る間もなく、何事もなかったように彼方へと流れ去ってゆく。いつしか谷間は狭まり芳醇な山毛欅の森へと遡ってゆく。流れは一層速く勢いを増し、ますます滴は透き通って、頭上にまで迫った緑葉さえ陽を通して透明感に溢れる。何もかも断ち切れる開放感と幸福感。流れに逆らう沢登りはひととき自分の持つ時を止める瞬間であるような気がする。

resize3668.png



 渓谷・
猛暑の中で、渓谷は爽やかな風を育み、流れる水は常に鮮烈である。壮大な岩盤の谷間をさらさらと踊る流れは、人の足元で戯れ、渓谷の豊かさは源流を目指して歩く者を魅了する。美しきものを語り、その時の思いに流されて感動する素直さが、人の豊かさの証かも知れない。人に豊かさがある限り、自然の中で安らいでゆける。渓谷は水の流れる舞台を作り、人はその舞台の上で見果てぬ夢を見る。  

resize3666.png


沢の不思議 
地表に滲みた雨は、徐々にしみ出て、一滴一滴が集まり、沢となり川となる。そんな自然の仕組みは分かってはいるが、私が生まれるずっと以前から絶え間なく流れている。その営みに不思議を感じるのである。岩盤に覆われた谷川岳の谷は、激しい雨に瞬く間に清流が濁流と化す。雨が止めば、同じように急速に水が引いてゆく。だが何日も雨が降らなくても、その一定の流れが絶えることはない。山は涸れないダムである。その不思議は源流を求めて沢を遡るとき、最初の一滴となって我々に示してくれる。猛暑の中、こうしている間も絶えることのない切れるような冷たさの流れに思いを馳せる。そこには爽やかな語らいではなく、五体で確かめながらせり上がってゆく沢登りがある。

resize3670.png
井戸小屋沢

水の流れ
 沢登りをしていて、こんな不思議を感じたことはあるまいか。流れる水が絶えないこと。今この時も、水は流れ続けている。大雨があればたちまち沢は増水して濁流となり川辺の草をなぎ倒し土を削り取ってゆくが、雨が降らず水流が細ることがあっても、涸れることはない。岩盤が山を多い、わずかな土が草付きとなって谷筋を覆っているあの谷川岳の沢ですら、水が涸れたことはない。その不思議は、沢を遡り源流の一滴が土から染み出てくる様を見るとき、頷くのである。山で葉に落ちた一滴の雨粒が地中を這って染み出る時間の大きさを思えば、絶え間ない水の流れがどれだけの時間を経て来ているのか。沢登りは悠久の時間を旅してくる水との出会いでもある。耐えない水の流れにこそ自然の原点がある。森が水を蓄え、水が森を育む、我々はただそこに佇む必要のないもの。それを忘れてはいけない。 

yukawa.png
スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

bunatoiwana69

Author:bunatoiwana69
山のソナタ集へようこそ!
19の時から山登りを始めて現在75歳。
東京の京橋に生まれ、都会に育ちながらも山の自然に憧れる。
脇目も振らず、馬鹿のひとつ覚えで山登り一筋。
時々の風景と想いを切り取りブログにしました。

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
写真
609位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
風景
222位
アクセスランキングを見る>>

山のソナタ集

山のエッセイと写真でつづる日々

ブロマガ購読者向けメールフォーム

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: