fc2ブログ

記事一覧

道しるべ

道しるべ
resize2893.png
霧ヶ峰の道標

resize2310.jpg
奥秩父の道標


 道しるべには二種類ある。
ひとつは行き先を示す道しるべ、それは道標である。
もう一つは人が通った事を示す道しるべ、道なき山のナタ目、雪山の赤布。
 道標に従って歩けば自然と目的地に辿り着く山が多くなった。
必要でない道標も多い。
 第一に山を歩く楽しみは地図を見ること、そして結局、山を歩く喜びは地図を見ながら道の定かでない山を自在に歩き回ること。道標の重みはそうした山登りから生まれるもの。
人の匂いのしないところに人の気配を感じさせるナタ目と赤布はそこを通り過ぎた人の息遣いさえも感じることが出来る絶対的なもの。何も書かれていなくても立派な道標より存在が大きい事もある。
道なき薮の中で温もりに似たものを感じて助けられることもある。
 人の人生に道しるべがあるとするならそれは人自身だろう。
その時々に出逢う人の中に道しるべを見つけられたらそれこそが道を知ることであろう。
 道を知る人にこそ、人の中に道しるべ。


resize2897.png
氷に覆われた道標、八甲田山にて

resize2890.png
ツアー道標
resize2892.png


南会津の小さな頂きで 
 樹氷に被われたメルヘンの世界、そこに迷い込んだ夢多き都会人。緩やかになった山毛欅林の尾根を登ると、小雪原の山頂に辿り着く。山里に囲まれた小さな頂には雪に埋もれた小さな社と登山としてではない山頂の標識がひっそりと眠っていた。何の飾りもない南会津の響きは、自分の懐かしい昔を思い出させる。無邪気に遊んだ風景の中で、自然は友達であった。そんな昔に戻れない自分を受けいれてはもらえないもどかしさが南会津の土地と人の匂いにはある。里と深く結びついた標識がそれを感じさせた。

resize2899.png
「なため」 ただ人がここを通ったというだけの道しるべ

resize2891.png
ケルン

山と道
 もちろんGPSなどない時代、山中をさ迷い歩いたことがある。夜である、通いなれた奥多摩の山中。ふと道を間違えたことに気が付いた。戻ろう、そうして振り出しに戻り、地形図を見て、先ほどとは明らかに違う方向の道を歩き始めた。しばらくして倒木が道をふさいだ。あ、今さっき通った道である。覚えのある倒木である。戻って違う道を歩いていたのに、また同じ道を歩いている。ワンダリングである。わずかな距離のはずなのに行けども行けども辿り着かない。視界のない冬山ではよくあること。雪に覆われてあたりが真っ白で目印がないからワンダリングしていることすら分からず延々と同じ道を巡ってしまい、遭難原因になる。方向感覚を失い人の癖により右寄り左寄りに歩いてしまい真っ直ぐに歩けない。気を取り直して、磁石を振って目的の方向に歩いて行けばよいのだが。山には怪奇現象が多いがその多くは、生命溢れた自然の中で人の迷いや悩みが行き場を失い錯覚として現れるのではないか、山の中の道は全てが山登りのためにあるのではない。山では獣や怨霊になって自分の行く道を探して歩くように心がけている。道しるべは人の為だけのものだから。 

resize2894.png
風雪の中で、温もりを感じる標識。 

resize3664.png
夕闇迫る林道に車の明かり、ありがたい。

スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

bunatoiwana69

Author:bunatoiwana69
山のソナタ集へようこそ!
19の時から山登りを始めて現在75歳。
東京の京橋に生まれ、都会に育ちながらも山の自然に憧れる。
脇目も振らず、馬鹿のひとつ覚えで山登り一筋。
時々の風景と想いを切り取りブログにしました。

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
写真
952位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
風景
345位
アクセスランキングを見る>>

山のソナタ集

山のエッセイと写真でつづる日々

ブロマガ購読者向けメールフォーム

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: