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一人の山



鶏足山
栃木の低山にて 鶏足山

奥久慈北岩稜にて
奥久慈北岩稜で 足で自分を表現したり。

山行計画
 「岳人」の特集記事「ひとりで行く山旅」にこんな一文を載せた。「会に所属していると、何かと段取りが多いので、自分のことだけ考えていれば良い、というのがたまらなく好き」それは気軽で楽しいのだけれど、その気軽さが軽薄さになり、自分の知らないところで、人に疎まれながら自分がどんどん小さくなって行くのが分かった。今はメ-ルが全盛だ、気が向いたときに誘い合ってゆくのが楽だ。時間に追われ、山行地に悩み、やっと出せた計画書にプレッシャ-を感じながら、でも思い通りの山行が出来たときは胸を張る。ただ楽しい1日が過ごせた、と言うレベルを越えなくては、大勢の人から愛され、毎日が楽しくて仕方がない、という人生を送ることはない。 

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田代山湿原

高原山剣が峰
展望の高原山


一人の雨の日に 
やっぱり雨か、と独りつぶやく。雨が分かっていた朝である。もぞもぞと起きながら一人である寂しさが、ふとよぎる。一年ぶりに沢登りの身支度をする、足が軽い、不思議と寂しさが気軽さと期待感に満たされる。身勝手さから自分の意志に反し昔はよくこうして一人で山に来た。梅雨時の雨は雫そのものが小さくてやさしい気がする。雨は決していつでも敵ではない。一人だから今日は振り向く必要も、人に気を使う必要もない。ただ自分の時間だけを考え自分だけのルートを探す。ヤバイヤバイ、スゴイスゴイ、自分の素直な感情が谷間に漂い、尚更うれしくなる。今日の雨粒は煌めいて一人でも楽しい山登りが出来た。新緑のトンネルとなった尾根を下りながら素敵な雨の日に出会えた喜びを誰かに伝えたかった。(背戸峨廊にて)    


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房総の海岸を望みながら


具拙 ぐせつ
自分の趣向のみの山登りを貫けば孤立無援の世界に陥り、なれるはずもない文太郎や長谷川恒夫の世界に遊ぶのであろうか。所詮人は誰でも拙さを具え持つもの。個人の趣向に優劣はないが、その在り方を批判され評価されることの喜びは仲間という意識の中でこそ有るのではないか。他人も又拙さを具え持つもの。人との交わりの中でその拙さが障害になるのではなく、自分の思いのままの拙さが人との交わりを隔てるのである。孤立無援の寂しさから始まった山登り、いつしか人と喜びを分かち合えるサークル人としてのクラブ在籍50年に悔いなし。

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山頂の案内板に自分を映して見る、自分が貧しかったり、豊かだったり。

単独行
ひとりの山は自由だ、誰に気兼ねすることなく、自分のペースで物事を考え、振り返ることもない。自然はストレートに伝わり、煩わしい問いかけもない。梢を渡る風。優しい風は葉の表をゆっくり撫でてゆく。激しい風は葉裏を叩いてゆく。ひとりの山はそんな風の音の違いに山の有様を知ることが出来る。ひとりの山こそ、自然と向き合える。自分の感性を磨き、自分を見つめ直し、自然と向き合う姿勢を問うためにも、たまにはひとりで山に行くことも必要である。だが、それを宿命とする単独行者になってはいけない。ひとりの山は大切な物を避けてしまう。荷物を分け合い、困難を分け合い、時には命を分け合う。自然の内にある避けて通れない大切な何か、ザイルを結ぶ事の意味。それが何かを教えてくれる。 私もたまにはひとりで山に行く。それはパートナーがいないが為の単独行ではなく、パートナーに恵まれた単独行でありたい。

金峰山にて
金峰山の山稜で 自分の影を見る。

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水仙の花に自分を映して見たり。

山での能力
 自分一人では行けない山に連れて行って貰うには山のクラブが一番である。初めはどこでもついて行くことで満足をする。人の都合に合わせるから思うように行けない事もある。そんな時はじっと待ってこらえる。そんな事を思えば、クラブの中で山を計画出来るようになるのは義務ではなくて喜びであるはずだ。一番自由なのは一人で行くことだ、一人では行けない、と思うのではなく自分の経験や体力を含めた登山技術を知ることである。山登りの能力の全ては、今の自分の山での能力を知ることが出来るかに有る。知ることが出来れば、一人でも行ける山が分かるはずである、人に頼ることのない山登りが出来る筈である。「飛躍のない単独行こそ最も安全である」加藤文太郎の言葉の重さが分かるはずである。  

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西上州の岩山で

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霧の鍋倉山

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える・・・
この一首の中には独りではない人の暖かさが有るのだそうだ。山の中で交わされる会話、「暑いね」「綺麗だね」「凄いね」「素晴らしいね」辛いときも、苦しいときも、相づちを打ってくれる人がいる暖かさ。自分だけではないという心強さは山では大きな支えであり安心安全だ。共有できる人の思いが多いほど、状況判断に強く、人には優しくなれる。昨年は34人の方と山行を共にした私だが、その人数が多いか少ないかは分からない。
君は孤独か、孤独というのは独りになろうと思い詰めることではない、それは自分の意思にかかわらずどうしようもなく独りになってしまうことだ。それを忘れてはいけない。単独行にしても、報告書の世界で話しかければいい。それこそ山の会の存在感であり、山の中では独りでも、見つめてくれる多くの目が支えになるはずである。 

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一人の表現はこれが一番

赤沢富士と檜山にて
 
檜山

入笠山
湿原は一人がよく似合う、  入笠山の湿原

LINE
 昔、山の仲間では数年おきにマッキンリー、今のデナリに遠征隊を出していた。私は1ヶ月もの休みがどうしても取れなくて参加は出来なかったが、登山はそれほど難しいものではなくて、登頂の成否は天候次第で体力や技術的には私のレベルで全く問題はなかったようである。その都度遠征の色々な話を伺ったが、一様に話していたのは24時間1ヶ月行動を共にした人たちとの絆である。行く前と行った後では人となり、それぞれの理解の深さが全く違ったそうである、後の宝になった。それが実は本当に羨ましかった。昨今、クラブでもLINEが盛況。山行が決まるとグループを作る、その中で打ち合わせが始まる。打ち合わせは色々な分野に及び思いがけない話題が出てきたり、返答やスタンプに人柄が踊る。ちなみにある山行のやりとりは数えてみたらなんと227回。知恵や経験を駆使して一つの山行に向かう、既にアプローチが始まっていたのだ。SNSが様々な弊害も起こす中、それを煩わしいと思い離脱するか、日常に取り入れて活用するか、それは生き方を左右する大きな選択だと思う。一人とグループを分ける分岐点だ。私は自分の正しさや楽しみや喜びが損なわれようとも、煩わしさの大海に泳ぎだしてこそ得られる大きな世界で、独りよがりな、ちまちまとした喜びと決別したい。 

移ヶ岳
移ヶ岳で憩う
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プロフィール

bunatoiwana69

Author:bunatoiwana69
山のソナタ集へようこそ!
19の時から山登りを始めて現在75歳。
東京の京橋に生まれ、都会に育ちながらも山の自然に憧れる。
脇目も振らず、馬鹿のひとつ覚えで山登り一筋。
時々の風景と想いを切り取りブログにしました。

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