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還暦と古希

還暦 

「不器用な人間なので、色々な道を歩くことが出来ません。ひとつひとつ積み重ねながら、踏ん張って留まることしか出来ない自分が哀れに思うことすら有ります。出来ないなら愚痴や批判よりも、楽しいものにしよう、その結果が500号なのかも知れません。私の今度のイベントは還暦祝いです。」これは所属するクラブの会報の500号記念に寄せた私のコメントです。クラブに入会して40年、嬉しいときも悲しいときも、悩みに潰されそうなときも、山に足が向いていた。それは楽しい仲間がいたから。山が好きでなかったら出来ない努力があった。仲間が好きでなかったら出来ない努力があった。努力が宝物になって人生が豊かになった。こんなに幸せな還暦の日をありがとう。

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還暦をありがとう。 奥多摩倉沢谷

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富士山滑降は毎年のテーマ

スランプ 
あらゆるスポーツ競技の選手にはスランプというものがあるようである。それを克服して結果を残す人が一流選手と呼ばれる人なのであろう。還暦を迎えてここ2年あまり、折にふれて山登りにもスランプがあるのではないか、と思えるようになった。登攀力が落ちた、体力がなくなった。もちろんそんな技術や能力の問題ではない。自分の現状を踏まえて、尚、未知への探求や、より困難を求める姿勢である。山へ行く意欲があっても背伸び出来ずに自分の殻に閉じこもり、不安やプレッシャーのない山行を繰り返す。これこそが山でのスランプに違いない。不安やプレッシャーを跳ねのけようと努力することこそ安全登山の糧であるはずだ。自分の殻の中で、結果が知れた山行の繰り返しで楽しいか、その答えが山登りの質であるような気がする。私のスランプがいつまで続くかは分らないが、これから再び基礎から山登りを学ぶつもりでいる。

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阿寺山にて 67歳 越後駒と中ノ岳を背に

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沢は生涯現役で・・・ 

自戒 
山登りを始め、それが生活の一部になってから、今年で43年目になる。その年月は所属クラブ在籍の年数と重なる。その間、さまざまな場面に遭遇して、私なりに経験を積んできた。30代後半を境に体力と技術は下降線である。体力は特に、重さに対する体の支えが無くなってきた。30キロを超えた荷物でアルプスの縦走はもうできない。技術は特にバランスが保てなくなった。それは最初にリタイアした氷瀑で顕著だった。いろいろな場面から遠ざかることで山に対する視野が狭まって、自己主義に陥ることが多くなった。だが、自然は43年前と少しも変わってはいない。それを忘れかけていた。死ぬまで経験を積んでも、分らないことが沢山あるのだろう。自然を相手に100%の確信はあり得ないからこそ、ひとつひとつを積み重ねてゆく、それが山に学ぶことである。

68
剱沢滑降へ 68歳

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67歳山形の渓

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69歳山形の渓

横田代 
何もせずただ雲を眺めてボーッとしていても、誰からも何も言われない、いやそれが自然な情景に思われる山が好き。風が吹けば花のように体が自然と揺れる、陽射しは暑いがそれを遮ろうとは思わない。痺れるような冷たさの流れに足を浸し、ひたひたと岩盤を歩いてきた。新緑の谷間の空は緑色、葉を透けて通る陽射しはやわらかに目を癒やす。大滝を超えて鮮烈な一滴の水が涸れた源流の先には、獣さえ歩くのが難儀だろうネマガリダケの密藪。嬉々として藪に向かい全身でかき分けて行く、これが沢登りの醍醐味と思えるようになるには時が必要だった。密藪の先に木々のない広々とした風景が確かに広がっている。山上の楽園がどうして尾根の上にあるかは知らないが、あの空の広さを忘れない。節目毎にいつもその先の10年を考えてきた、来年古希を控えたその後は最後の節目になるのだろうか、山登りを模索する日々である。

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小赤沢遡行後、至仏山を臨む横沢田代を訪ねる。 69歳誕生日の前日でした。


乗鞍岳滑降67歳
乗鞍岳滑降 67歳

古希 
この歳になり、誇れることといったら、一つのことをづっと続けてきた事。それも不器用で多才ではないから、色々な楽しみを追うことが出来なかっただけなのである。山から生きるために必要なモノを受け取り、人の輪の中で息が出来るように営んできた。山懐に分け入れば母のような慈しみを感じ、安らいだ。仲間と居れば時間が止まった。山を見る角度は人それぞれ、生まれや今現在の生活で全く違う風景が生まれてくる。山で360度の大展望に酔いしれても、人の輪の中で360度の景色を見ることの素晴らしさ、大切さを知る。山登りが一人でも出来ると思ったことは一度もない。走馬燈のように仲間の顔が浮かんでくる。馬鹿の一つ覚えで山登り、これで良かったのだろうかと、自問する日々。おめでとうの皆の祝福と笑顔に、これで良かったと。幸せな古希の日をありがとう。

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古希をありがとう 奥多摩入川谷
ケーキの代わりのスイカのケーキ 嬉しい。
すいか


70代
 人生を振り返る歳になって、出来れば技術も体力も一番充実していた30代に戻りたいと漠然と思ったりするが、考えてみるとその年代の自分は先を急ごうと、何故か常に焦って、自分を失い何かに追われるように山登りに明け暮れていた。冒険と無謀の違いも分からず、自分に何が足らないか、それを模索しては、何でも出来るような気がして、実は山以外の生活にも追われて、何も出来ないでいたのかも知れない。今の歳を、うらやむ人が必ず居る。70代は60代をうらやみ、80代は70代をうらやむ。そう考えるようになってから自分の歳で出来るものを頑張る大切さを知った。花の百名山の筆者、田中澄江が人生を振り返り、体力気力が一番充実していたのは60代と答えていたのを思い出す。今年は古希、いつか人生を振り返り一番充実していた歳は、70代、と答えられるような、これからの10年でありたい。殻に閉じこもり、自分の好きなことだけに拘るのではなく、人の楽しみに耳を傾け、人と交わり、その中でこそ分かち合える喜びを語れる生涯でありたい。  

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奥秩父一ノ瀬川本流を行く、70歳

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小常木谷大滝を登る。 70歳

師のこと 
 やっとの思いで終了点の傍らに腰を下ろした。つい先ほど、落石を受けた私の顔は血で染まっていた。意外と痛みは感じなかったが血が止めどもなく頬を伝わってゆく。岩場の途中でただ素手で拭うだけで何も出来ないまま終了点へ。慌てる私を制して師は素早くバンソコだけで傷口を縫い合わせた。よしと頷いた顔には大事に至らなかった事への安堵の笑顔があった。心配をかけ、世話をかけながら山登りを学んできた。懸命な姿に注ぐ師の熱い眼差し、漫然と師のザイルにすがって意欲のなかった時に示した落胆と寂しそうな笑顔。師の背中を追いかけて、遅れまいと必至に付いていった自分。学んだことは後の人たちに返して行け、山登りとはそうゆうものだ。師が逝ってしまって早や20年。師の意思を無にしてはいないだろうか、いまその重みを日々噛みしめている。


次は喜寿? 頑張ります、それまでごきげんよう。


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プロフィール

bunatoiwana69

Author:bunatoiwana69
山のソナタ集へようこそ!
19の時から山登りを始めて現在75歳。
東京の京橋に生まれ、都会に育ちながらも山の自然に憧れる。
脇目も振らず、馬鹿のひとつ覚えで山登り一筋。
時々の風景と想いを切り取りブログにしました。

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