fc2ブログ

記事一覧

歳時記

新年のご挨拶 



resize2256.jpg

 山中にただ一人佇む、若き日の遙かな時代に思いを馳せれば、仲間達との語らいが蘇る。愛情が感じられないあだ名で呼び合い、内心感謝はしてても決して口には出さない。本音は言わないが、嘘と偽りは隠せない。ああ言えばこう言う、決して交わらない水と油の関係なのに、ザイルを結ぶとあんうんの呼吸が生まれる。お互いに切磋琢磨して、幾たびか黄昏の稜線に憩い、寒い夜を数え切れない程共にして、果てに迎えた朝に安堵する。そこに居ることさえ忘れさせる空気のような存在こそが仲間のあり方。兄弟ではない、親子でも、夫婦でもない、山登りの神髄は20年30年の付き合いから生まれる好き嫌いを越えた絆だ。5年10年で結論を出さないで欲しい、生まれるずっと前から何も変わらない山が舞台の発表会だから。



ログハウス 山登りを始めてちょうど40年になる。いつしか登った山の数を数えることもしなくなった。沢に入るとまめにメモしていた遡行図も、その場で書くことが希になった。書かずにはいられない沢登りが出来なくなったこともある。今年は以前に登った山を幾つかを登った、どこも深く印象に残っていた山や沢であったが、印象は不確かなものであった。記憶を辿っても新たな印象で塗り替えられるようなところが多かった。記憶ではなく人はもっとその時の自分の気持ちに左右されるものなのだろう。久しぶりに訪れた会員所有のログハウスは何も変わっていなかった。葉を落とした夜の林を見上げると、星がまるで枝に付けたイルミネーションのようであった。山に仲間を見送った林には小鳥が絶え間なく訪れて、朝陽が遠慮がちに木々を渡ってくる。山は学校である。40年、まだ卒業出来ないでいる。

resize2265.jpg
ログハウスは甲斐駒ヶ岳山麓にひっそりとある。

resize2259.jpg


毎年一年を振り返りながら
山への憧れを失わずに、世の風潮を解せず、ひたすら山に行き、文字や記号のない世界で、だが自分の感性で言葉少なく語りたい。夢に破れても、決して夢を忘れず、恋に破れても、決して恋を忘れず、儚い命をいとおしみ、山の端に沈む夕日に明日への思いを語りたい。時には孤立して、途方に暮れて佇もうとも、人を信じて仲間を求め続けたい。全身でかき分け、踏み固め、精根尽き果てるラッセルに喘ぎながら、仰ぎ見た峰の白さよ。雪渓の残る山、触れると若き日の熱き思いが伝わるような岩場のある山、切れるような鮮烈な水を育む豊潤な山毛欅の森で、吹き抜ける風を一身に受けていつまでも季節の匂いを感じていたい。今年はそんな風に過ごせただろうか、と目を閉じれば今年の山の風景が浮かんでくる。来年もそんな生き方を忘れずに過ごしてゆきたい。 

resize2251.jpg
両神山と二子山を望む毘沙門山にて

 私にとっては振り返る間もない、あっという間の一年であった。世界一平和な社会で暮らしながらも、世の中の進歩変動の激しさに流され、暑さ寒さを肌で感じながらも季節の急な移り変わりに戸惑う。山の中で知る五感の全ては年々衰えながら変わって行くのに、数十年前のたたずまいと全く変わらない山の風景に、己の卑小さを嘆く。憧れをまだ失ってはいないか、と問いかける。先に結論を求め、そこに向かって歩く脚本のある生き方には憧れやロマンは存在しない。厳冬の暗く凍てつく朝、何を好んでこの世界に遊ぶのだろう。すぐそこに温もりの寝床と安らぎの時間があるのに。数十年もの間、繰り返す自問に答えを出せることはない。ただ楽しく温もりと安らぎに満ちた1日を過ごせた、というレベルを越えなくては、いつかは立ち止まり、空の自分に嘆くだろう。振り返る1年、山を共にした人の名を忘れまい。それぞれの生活の中で互いに助け合って暮らしてゆくわけではないが、そこに行けば笑顔で迎えてくれる仲間がいつも居ることを忘れまい。 

resize2257.jpg


山の春 
桜がそろそろ散り始めた週末に東京を出る。東北道を北に向かえば、栃木の桜は今が満開。吾妻連峰の麓ではまだ梅が咲いている。そして山に入れば春は遠い豊富な残雪の中。前日の新雪がうっすらと被って、朝の雪面は凍ってさえいる。昨日までは寒かった、と思った風が和らぐと、桜が一斉に咲き始め、瞬く間に散り始める。冬から春に移りゆく里の季節は衝撃的と思えるほど早いが、山の春はもっと優しく緩やかに移ってゆくように思う。日に日に消えてゆく雪を追いかけるように、斜面にショウジョウバカマやキクザキイチゲ、イワウチワが地を這うように咲き始める。山には何時までも雪の傍らに春が残る。人はその春に、去りゆく季節をいとおしむ。

resize2255.jpg


季節 
今年は9月も中旬だというのに真夏日が続いた。入道雲に蝉の声、秋の気配など少しも感じられないのに、ナナカマドの実が真っ赤に熟れて、山では紅葉が始まっている。里では暑い日差しに照らされながらも、ススキの穂が白く輝いて斜面を埋め尽くしている。夏のような暑さの中で、どこで秋を感じ、なんで夏に立ち止まろうとはしないのだろう。朝を迎える日差しの優しさや、夜に感じる空の高さに、生あるものたちは移り行く季節を感じとるのだろう。季節は我々の感覚を超えて静かに、しかし確実に進んでゆく。そして、秋、と感じた時にはとっくに山の季節に置いてゆかれることが多い。今年はどんな紅葉に会えるだろうか、それはどこだろうか、そんな風に思いを巡らす季節がやってきた。  

resize2258.jpg

resize2248.jpg
タマゴ茸、美味しいそうだ。

 一年をゆっくり振り返りたい時期は、いつも仕事に追われる頃である。今年も又、せわしい日々である。目をつぶり、シーンを振り返れば一年の成果が分かる。走馬燈のように一瞬で浮かんでくる年は実り多いときである。そんなとき漠然としたシーンは浮かんでこないものだ、足下から舞う綿毛のような雪の結晶さえがスローモーションのように脳裏をかすめる。渓谷の中で、吸い込まれるような泡立つ釜の中に深い色の妖艶な妖怪が見え隠れたりする。何よりも薄日差す山毛欅の森で煌めいていた妖精。夏が終わったら、オフ、様々な要因で山では不本意な日々が続いている。違う道を歩いてたどり着いたこの日、違う道を語り合い自分の山を考える。師走の山はそんな空気を吸える唯一の時間だ。

resize2249.jpg

 
いわし雲、さば雲、ひつじ雲、うろこ雲、笠雲、レンズ雲、つるし雲、わた雲。言われてみればそう見えない事もない。雲はいろいろな形に見える、それは事実だが、雲を見て何かを連想する事が日常あるだろうか。たとえばのんびり歩く日溜まりの山でも、空を見上げて雲の行方を追うゆとりある時を持っていただろうか。ましてや雲に何かしらの形を思い浮かべ、その時の自分の思いを映してみるだけの豊かさがあっただろうか。そう考えて見ると自分の想像の貧しさと発想のやましさが身にしみる。雲もその時、あるがままの姿でただ無心に浮かび流れてゆくだけなのだ。その時、ただそこにあるだけの山と同じなのである。思い、悩み、喜び、雲も又、そんな自分を描くキャンパスなのである。 

resize2252.jpg
白馬尻で小屋の準備が始まった。

早朝の電車に乗って上野に向かう。車内には外国人を交えた若者が7~8人、きっとどこかで徹夜で遊んできたのだろう。心地よい疲労感に身を任せているような。そんな隣の若者の手にはSANDAY DISCOのパンフ。同じような年の頃の自分は今以上に山登りにのめり込んで、寝ても覚めても山ばかり、だったなーと感慨に耽る。街のネオンや華やかさとは無縁の世界で青春を過ごしてきた。自分はこの若者達より愉しい日々を過ごしてきたのだろうか、デートも山、新婚旅行も山、地形図を眺めては夢を膨らませ、歌と言えば「岳人の歌」や「孤独の山男」。馬鹿の一つ覚えで山登り、もっと違った人生があったのだろうか。合同山行に行くと、そんな私と同じ仲間がいる。もう人生の半分以上を付き合っている。人よりも愉しく素晴らしい人生であったとは言わないが、決して貧しくはなかった。  


resize2253.jpg
春の兆し、守門大岳沢筋にて

resize2247.jpg
霧氷の小出俣山

スポンサーサイト



コメント

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

bunatoiwana69

Author:bunatoiwana69
山のソナタ集へようこそ!
19の時から山登りを始めて現在75歳。
東京の京橋に生まれ、都会に育ちながらも山の自然に憧れる。
脇目も振らず、馬鹿のひとつ覚えで山登り一筋。
時々の風景と想いを切り取りブログにしました。

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
写真
952位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
風景
345位
アクセスランキングを見る>>

山のソナタ集

山のエッセイと写真でつづる日々

ブロマガ購読者向けメールフォーム

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文: